テレビで天神様、菅原道真の掛け軸を正月の床の間に飾るのは富山県民で、元々は福井県から始まったものを富山の薬売りが広めたと放送していた。
福井県民の我が家でもずっと大晦日になると天神様の掛け軸をだし、年が変わると前にろうそくをともし子供は勉強できるようにと祈らされた。
菅原道真と言えば、全国的に有名な歴史上の人物であり、日本中どこにでも行われていると思っていたが、地域限定の風習だとはこの番組で初めて知った。
何でも幕末の福井藩主、松平春嶽が福井入りして始まったとの説があり、そうとなればそう古い習慣ではない。1月25日の天神講にはカレイを供える風習も続く。県内の進学校では、わざわざ受験担当の先生が福岡まで行って合格祈願をするところまである。
今読んでいる小学館の「日本の歴史」シリーズの4巻「揺れ動く貴族社会」によると道真は傍系から皇位に就いた宇多天皇に重用された。宇多天皇は、もともと官人として役所つとめをしたという歴代の天皇の中でもまれな経験を持ち、藤原氏とも血縁関係がなく、近臣を積極的に登用し親政を目指した。
しかし醍醐天皇の譲位し上皇となった後、道真は藤原時平との権力争いに敗れ、九州の太宰府に左遷された。道真は悲劇のヒーローとして神になったが、醍醐天皇を廃しようとしたとの説もあり結構どろどろしたところもあったようだ。
道真は「書斎記」という日記を書いたらしい。自分の書斎の日常を事細かく書いたもので、日本で個人的な事柄を書いた最初の文章の一つともいう。いわばブログの先祖ともいえる。
posted by masa-u at 00:00|
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歴史・史跡